青春の時間の浪費への焦燥。コンテンツに溢れカラフルに輝く大学生活を!

プロフィール

ニックネーム

Y.Tokoi

出身高校

茨城県立水戸第一高等学校普通科

進学先

上智大学法学部法律学科

入学年

2013年

現役 or 浪人

現役

合格した学校・学部・方式

慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科(一般)
上智大学法学部法律学科(一般)
中央大学法学部国際企業関係法学科(一般)

不合格だった学校・学部

慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科(一般)
慶應義塾大学法学部法律学科(一般)
中央大学法学部法律学科(一般)

志望校を決めた時期と志望理由

第一志望:慶應か上智の法学部
時期:高校2年の夏
理由:
高校への入学時点で、かなりの学力差がある同級生がいました。とはいえ「3年あれば追いつけるのではないか」と思っていました。そして1年間、高校の授業を受けて気がつきました。「勝てません」。であれば別の分野で戦うしかありません。「こんな人ばかりが入る東大に行っても埋没してしまう」と感じ、別の道を考え始めました。
幼少期に受けた衝撃(幼稚園か小学生かの境目あたり時期、友人一家のニューヨーク移住に便乗して一ヶ月ほど現地に滞在したのだが、その翌年に同時多発テロが発生した)から国際法務に携わりたかった私は、「国際」色の強い大学の「法学部」に進学しようと考えました。「法」ということで、中央大学の国際企業関係法学科も受けました。「国際的」という点でAIUやICU、東京外大も考えました。しかし、私が携わりたかった法分野は「民間」というよりも「行政」の色が強いものでした。また、大学在学中にも多くの活動に取り組みたいと考えていたため、「立地」を重視しました。結果、上智大学の法学部に進学することになりました。
慶應は単純に合格しとけば文句言われないと思ったので受けました。

志望校・学部・学科を決めるにあたってのアドバイス

将来の夢から逆算して決めたため、悩みはありませんでした。しかし、前提として、高校生の見識は狭いです。そこそこ保守的な地方のローカルな家庭出身の私は特にそうでした。結果、大学に入学した半年後には、10年近く掲げていた目標を捨てて新たな道を模索し始めました。
ということが容易に起こり得るのが大学進学(特に上京組や海外進学組)です。よって、例え夢が決まっているからといって、安易に他の選択肢を消す進路を選ばないことをオススメします。高校で積極的に課外活動を行い、大学ではしっかり学ばせる国もありますが、日本は高校でしっかり学ばせて大学で初めて社会との接点を持つことになります。社会との接点がない状態で抱いた夢は脆いです。
いずれにせよ、大学の学部選択で職が決まるようなシステムになっていないのが日本です。それに、合わないと感じたら転部でも転学でも方法はいくらでもあります。よって、自分が一番モチベーションを高められる大学、学部に目標設定するのが良いのではないでしょうか。

高校時代、部活や生徒会含め勉強以外で取り組んだこと

硬式テニス部(通期)、学苑祭実行委員会(通期)、應援団(1シーズン)に所属していました。基本的に年中日焼けしていた記憶があります。学校の課外活動の他に、テニスクラブにも通っていました。
勉強がしたいだけなら高校に行かずに図書館で勉強するか予備校に行って大学受験すればいいじゃんと感じていたので、高校生らしい思い出づくりに励みました。
正直、そこまで大した位置づけではありません。しかし、「高校時代に高校生らしく高校生活を楽しめた気がする」と曇りなく言える程度には悔いがなく、結果として屈折せずにこれまで生きてこれた気がします。

勉強面

高校1、2年時の勉強への取り組み

◆高一
授業と家庭学習がメインです。部活後は直帰して、2時間程度勉強しました。しかし疲労でしょっちゅう勉強中に眠っていました。当初は親も若干キレ気味で起こしにきましたが、しばらく続くと放置されるようになりました。
英語は「ネクステージ」と数学は「赤チャート」を繰り返しやっていました。高一の夏の時点では、センター試験の国語と数学で6,7割取れていたはずです。
代ゼミの全国模試の数学で1位を取ったことがありますが、その後怠けたので学年最下位に転じました。

◆高二
家では勉強ができないので、予備校に通うことにしました。部活が終わると東進衛生予備校で夜10時まで勉強する生活をしていました。自分のペースで学習したかったため、講座は2種類だけ申し込み、もっぱら自習室を利用するために通っていました。この頃に世界史にも力を入れ始めました。ちなみに、学校の授業は基本的に寝るかipod touchで大富豪をしていました。

高校3年時の1年間の勉強の進め方と学習の中で心がけたこと

​​​◆春夏
基礎固め重視。英語は文法と単語の基礎を固めた。文法はネクステージの反復、単語は高速マスター(東進)でセンター1500から上級までの総ざらいを行なった。世界史は、基礎用語と世界史の流れを確認していた。基礎用語は一問一答の反復、世界史の流れは教科書と講義の実況中継を毎日一章ずつ読むことで把握した。勉強時間は英語3時間、世界史3時間、国語2時間という配分だった。現代文は、市販のレベル別問題集(東進)の一番難しい2冊を回した。古典はゴロで覚える単語帳を全て覚えた。

◆秋冬
実践演習。英語は東進の過去問演習講座を一回通して観た。世界史は、Z会の「実力をつける世界史100題」と「慶應の世界史」を複数回回した。正答率が9割に届かない分野は穴があると見傚し、基礎に戻って復習した。冬になると、世界史に関しては自分で教科書づくりを始めた。入試で頻出の分野だけノートにまとめて、常に持ち歩いて見ていた。勉強の時間配分は変わらず、英語5時間、世界史3時間だった。

1日の平均勉強時間

高校1、2年時の平均:10時間
高校3年時の平均:10時間

得意科目とその理由

世界史
理由:幼い頃から本が好きだったため、伝記や歴史小説をよく読んでいた。

英語
理由:ニューヨークへ行った経験があっため、興味から学習を始めることができた。また、英会話教室に通っていた。

不得意科目とその対策方法

数学
対策:大学1年次では赤チャートを繰り返した。センター模試では8割程度取れるようになった。2年の後半には受験に数学が必要ないことが発覚したため、以後は学習は進めず、他の受験使用科目の学習の合間に息抜きとして赤チャートとセンター模試の復習を繰り返した。

おすすめ参考書とその理由、取り組んだ回数

英語:ネクステージ
理由:網羅性が高いため。
回数:10回

数学:大学への数学
理由:薄いからかさばらない。単純に面白かった。
回数:2回

世界史:実力をつける世界史100題
理由:薄くて持つ運びしやすいからこまめに復習できる。
回数:覚えていない

世界史:講義の実況中継
理由:口語なのでサラサラ読める。
回数:3回

塾の活用方法

東進衛生予備校に、英語と過去問解説講座を受けに行きました。予備校には主に友達との学習状況の共有、おしゃべり、自習室を目的として通いました。

模試の位置づけ

模試は基本的に気にしなくていいです。復習もできるに越したことはないですが、何よりも標準の自分の学習プランが優先です。はじめから模試を学習プランに入れていない、かつ、そこまで時間的余裕がないのであれば、順位を見てテンションをあげるか、下がりまくったテンションをバネにする程度で良いと思います。

高校の授業の位置づけ

寝るか起きるかはっきりした方がいいです。潔く授業を切って図書館で寝るか自習するのもありです。授業に参加するなら、授業の内容を誰かにすぐに教えるつもりで聞きましょう。頭への入り方が全然違います。

生活面

1日の平均睡眠時間

高校1、2年時の平均:8時間
高校3年時の平均:7時間

主な勉強場所

予備校の隣のスターバックスか、駅ビル内のエクセルシオールです。当時の水戸には、手頃でいい感じのカフェはわずかでした。予備校って代わり映えがしなくてすぐに飽きるので、場所を変えて気分を変えて勉強していました。どうしても集中できない時は、付近の本屋で立ち読みしていました。

おすすめの息抜き方法

一人でカラオケに行って叫び散らかしていました。どうしても眠くなる昼ごはん後の時間帯にカラオケに行き、眠気を吹き飛ばす勢いで声を枯らしてから予備校に帰り、勉強を再開する生活をしていました。

モチベーションを上げる方法

志望校のミスコンの画像を見て「絶対知り合いになって彼女にしてやる」とか思っていたような気がしますが、正直よく覚えていません。それよりは、とにかく早く東京のど真ん中に行って世界を広げられるだけ広げたいと感じていたと思います。いい加減自転車圏内での生活に飽き飽きしていたはずです。

自分なりの健康管理方法

テストがピンチでも、徹夜はしない。

恋愛とのバランス

日本3大イモ都市と呼ばれる水戸の元男子高校のため、大衆に晒せるほどにドラマのある恋愛はしたことがなければ聞いたこともないです。

受験時に聞いた印象に残っている・勇気づけられた言葉

シンガポールのマーライオンは「世界三大ガッカリ」

「世の中ですごいと言われてることって、直接見てみると案外しょぼかったりするんだよ」ということだと当時解釈しました。それから6年。「真理だ」と思えるので印象に残っています。

誰と一緒に勉強したか

同じ高校や、中学の時に塾が同じだった友達。

勉強や受験に対する親のスタンス

干渉なし

親にしてもらって嬉しかったこと

受験の時、東京まで見送りに来てくれたのは地味に嬉しかったな。

メッセージ

大学入学後の生活

おそらく多くの人がそうであるように、思い描いていた理想とは程遠い生活を送っていました。
国際弁護士になるために大学に入ったものの、その目標は半年で消えました。授業、サークル、バイトで構成される生活には刺激がなく、ただただ青春の時間を浪費し続けることに焦燥を感じていました。目標が見つからず、精神的に漂流していました。

大学1年の夏、上智大学が企画するワシントンD.C.への短期研修プログラムを見つけ参加しました。
国際関係に強いジョージタウン大学での米上院議員による講演や国際関係の専門家のパネルを聴講したり、現地の大学生とディスカッションに参加できるものでした。元駐米日本大使の藤崎教授の引率でした。

帰国後、所属していたサークルを全て辞めました。その後の1年は、友人と団体を設立したり、長期有給インターンを始めたり、社会人しかいないような集まりに行ってみたりと学外での活動を主軸に過ごしました。
大学に入ってからできた彼女とも、「価値観と将来観の埋まらない断絶」というありきたりな理由で、この時期に別れました。

大学2年の夏には、四国の地域活性化プロジェクトとマレーシアでの事業立ち上げプログラムに参加しました。何もできない挫折だらけの時期でした。
挫折をベースに今後の動き方について考えた結果、残りの大学生活を通して克服しないといけない点、伸ばして到達させないといけない力がなんとなく輪郭を帯び始めました。

その冬には、大学の次年度を休学して、マレーシアでインターンすることを決めました。親には反対されるし周りにそんなことする人いないので大いに困りましたが、文部科学省の奨学金に採用されたことで風向きが変わりました。
錦の御旗って大きいんですね。権力や体制からの承認って私は嫌いですが、自分の信条に反せず将来にも影響を及ぼさないと判断できる範囲であれば、いただけるものはありがたく頂戴しておくと諸々楽になります

ちょうどこの時期、上海(中国)にスタディーツアーを企画して行きました。大量に走るオンボロタクシーがフォルクスワーゲンであること、鶏が道端で屠殺されていることに驚きました。一方で上海の摩天楼が妖艶に思え、「もしこの国に住んだら私はダメになるのではないか」と感じました。しかし13億の民というのは凄まじいですね。

3年の春からマレーシアに渡り、財閥系大学や政府系デベロッパー、NASAとのプロジェクトを経験しました。work hard play hardな毎日で、この22年で最も充実した1年でした。シーシャというイスラム圏の嗜好品を好きになり、日本に帰国してからもほぼ毎日楽しんでいます。
結論として、この1年は人生観の変節点となりました。帰国すると、日本学生支援機構の優秀学生顕彰という制度で表彰を受けました。

帰国した4年の春からは、これから海外に出ようとする若者と、行って帰ってきた若者が恒常的に集まれる場づくりを行なっていました。運営を始めてから半年で、4ヵ国70大学の会員を集めることができました。
都内の大学生にありがちなギラギラウェイな集まりではなく、社交慣れした人が集まるので非常に自然で私が大好きなコミュニティーになりました。

好きなことをやりましょう。ただし全力で。サークル、部活、バイト、インターン、趣味、起業、旅、留学、なんでもいいです。
興味を持ったら全部手を出しましょう。一番身軽な大学時代に一箇所に留まり続けるなんて大きな機会損失です。コンテンツに溢れる大学生活を送ってください。

後輩へのメッセージ

良くも悪くも、焦点を一つに絞って集中できる状況は貴重です。
大学に入ればバイトに授業に就職に、人によっては無限に気にしなければいけないことは増えます。優先順位を明確にすることがかなり難しいです。しかし進学を考えるほとんどの高校生は、入試を最優先に設定しているはずです。

そういう意味で、あなたが自分の力を試したいと考えているのであれば、高校在学中の大学受験勉強はいい機会です。
もし進学校にいるのであれば、皆がほぼ同じピラミッドの頂点を目指して似たような内容を学んでいるはずです。しかしその中で差が生まれる。ではその差はどこから生まれるのか。それを考え、改善し、試すプロセスを高速で回せる機会が大学受験だと私は思っています。

あと、健全に部活と恋愛はしましょう。ここを経験しなかったことで変に屈折している人が時々いますが、私たちはまずヒトであって、次に社会性のある生き物です。偏差値を上げることに至上の喜びを感じる人はそんなにいないと思うので、人間的に喜べる経験を積み上げられるといいですね。
大学受験に失敗しても、勉強し直して海外の大学にでも行って現地で就職すればいいです。気楽に考えましょう。